古民家を知る
家造りの古謡その2 ~神も悪霊もいる場所、それは家~
前回は沖縄本島での家造りに関わる歌謡を紹介しましたが、今回は同じく『南島歌謡大成』(八重山篇、1979年、角川書店)から、八重山地域での建築儀礼の際に謡われる古謡に焦点を当てたいと思います。
![]() 南島歌謡大成 |
沖縄県のなかでも八重山は民謡の宝庫といわれており、数々の有名な八重山民謡があります。その原型となるのが神に捧げる神歌であり、神の言葉を模した「カンフチ(神口)」、神への願いを言葉にした「ニガイフチ(願い口)」、旋律化が進んだ「ユングトゥ(誦み言)」が歌謡として採録されています。これらは本来は御嶽のような拝所でツカサ(司)など神人によって唱えられる言葉です。
さらに、より叙事的で明確なメロディを持った「アヨー」「ジラバ」「ユンタ」が発展していきます。唱えることから謡うことへ進化し、労働歌のような性格も持っています。これらがさらに「節歌」や男女の恋心を謡った「トゥバラーマ」「スンカニ」へと発展すると考えられています。
家造りじらば(黒島)
宮里の(めふざとぬ) 真中(んなか)に | 宮里村の真中に |
山ぎらい あんとす | 家を造ってあるという |
ウリヤミヨナサ〈囃子〉 | |
親村(うやむら)ぬ 内なか | 親村のうちに |
四縁玉(しぶちだま) 石杖(いしじ)ばし | 菊目石を礎にして |
八角(やすば)がに 柱(ぱらー)ばし | 八角の金を柱にして |
四角(ゆすば)がに 桁(きた)ばし | 四角の金を桁にして |
平(ぴさ)がに 貫(ぬき)ばし | 平の金を貫木にして |
丸がにば 樽木(きち)ばし | 丸い金を垂木にして |
絹羽(いゆぱに)ば 羽(ぱに)ばし | 絹羽を羽根(茅)にして |
絹糸(いちゆぴる)ば 締縄(しみな)ばし | 絹糸を締め縄にして |
むとぶ家の 中なか | 元母屋の中に |
太陽(てだ)ぬ形(はた) あんとす | 太陽の形があるよ |
にりぶ家の 内なか | 根母屋のうちに |
月(しき)ぬ形 あんとす | 月の形があるよ |
ウヤキユハナウリヤガ ゝ | |
ユウワナウリ ゝ | |
ナウリ ゝ | |
(『黒島民謡集』) |
どうですか? 対句が散りばめられたリズミカルな美しい詩だと思いませんか。
沖縄本島のやんばる地域の歌謡では、例えば「柱を見ると奥武の山のシジの木」と家屋の各部材の樹種や伐採場所を特定していましたが、八重山地域ではもっと抽象的な表現になっています。他の歌謡をみても、柱を桁を鉄で造るなどと謡われていますが、実際に鉄を用いたのではなく、あくまで丈夫な家であることを願った比喩です。絹羽(カンムリワシの幼鳥の羽根のことか?)を茅葺きにするというのも、なんとも優雅で遊び心のある表現だといえるでしょう。
![]() キクメイシの礎石 |
![]() カンムリワシの剥製(石垣島海辺COMより) |
建(たてぃ)願(にが)い〈新築祝い〉(竹富島)
白銀(なんじゃ)屋 黄金(くがに)家 築(ぎら)い合(あー)し 造(すく)り合し | 白銀の家 黄金の家を建てて 造って |
為立(したてぃ)始みおーたる 紫微鑾駕(ひていらんかん)ぬ 神ぬ前 | 仕立て始めなさった紫微鑾駕の神の前 |
御立てぃ 棟(んーに)ゆ 祟(かみ)らりおーる | お立て 棟木として戴かれなさる |
元木柱(ぱらー) 大柱 中柱ぬ 神ぬ前 | 元木柱 大柱 中柱の神の前 |
今日(きゆ)ぬ 吉日(いーひぬち) 美時(かいとぅき)に 建てぃ始めすば | 今日の吉い日 美しい時に 建て始めますから |
建てぃ美(かい)さ 結び美さ あらし給(たぼ)うりてぃり | 建て美しく 結び美しくあらせてくださり |
黒炭(くるたん)ぬ様し 根韮(にーびら)にん如(ぐとぅ) 本韮(もとうびら)にん如 | 黒炭のように 根韮のように 本韮のように |
島とぅとぅみ 国(ふん)とぅとぅみ | 島と共に 国と共に |
動(うい)ぎん たいぎん 有らし給うらん事に | 動きも揺らぎもあらせなさらないで |
白銀屋 黄金屋ぬ 家内(やーうち)や | 白銀の家 黄金の家の家内は |
いーくとぅ有らし給うり うーとうとぅ | よいことをあらせてください ああ尊 |
(『竹富島誌』) |
この唄はニガイフチ形式なので、唱えるような謡うような微妙な旋律にのせられていたと思われます。前のジラバに比べると、神への直接的な語りかけの文章であることがわかります。
「元木柱」「大柱」「中柱」と三つの柱の名称があげられ、柱に神が宿るという観念がここでもうかがえます。「紫微鑾駕」は中国起源の呪語なので、土着の神観念と外来の神観念が融合しているとみることもできそうです。
![]() シビランカの文字 |
「動きも揺らぎもなきように」というくだりは意味深です。ひょっとすると、明和の大津波をもたらした1771年の八重山地震以後のものかもしれません。根韮をニンニクととらえるなら、たくさんの鱗片が固く結びついている様子が、風や地震の揺れにもびくともしない頑丈な家を連想させたと想像できます。あるいは子沢山の縁起のよさがそこに込められているとも思えます。
家の新築落成の時の願い言葉(石垣島川平村)
くりまで ゆいぴぃとうぬまいや | これまで 結い人の前は |
たばらりおーりふたすんが | 縛られておられたが |
きゅうや ぱだぎ うやしたちぎんど | 今日は解き申しましたから |
やまぬかんややまへ ぬぬかんやぬうへ | 山(木)の神は山へ 野(茅)の神は野原へ |
おーりとうろーりでり | おいでになり |
くぬきねーなーや びーん さびーん | この家庭には凶事も錆も |
かからし とおらんつくに | かからせなさらずに |
いいくと んかいしみ とうろーり | よいことを迎えさせてください |
このニガイフチには「ユイピトゥ」という語が出てきます。ユイピトゥは「寄人」ととらえることもできますが、「結人」つまりユイを行う人のことで、家造りを手伝う人を指すとされています。しかし、ここにあるように「ユイピトゥヌメー」や「ユイピトゥガナシ」と敬称されると、神になります。すなわち家の神ということです。
前回もご登場いただいた赤嶺政信教授によれば、「家造りの手伝いをすると観念されているユイピトゥガナシと呼ばれるある種の存在が、家屋建築の過程(柱立てや落成式)で家に招かれ、それが家の神となっていく」そうです(「建築儀礼にみる人間と自然の交渉-沖縄・八重山諸島の事例から-」松井健編『自然観の人類学』第12章、2000年、榕樹書林)。
そのユイピトゥヌメーをここでは「解き放つ」と謡われます。だから元々いた山や野原にお帰り下さいというのです。沖縄本島の神歌でみたような、山の精霊を恐れる構図がやはり八重山でも見出せます。少し違うのは、この家の神が「家をまもる存在」と「おそれられる存在」の両面性を持っているだろう点です。
最後に、建築儀礼からはそれますが、西表島で節祭のときに行われていた行事を紹介します。
家浄めの祝詞(西表島祖納村)
とーど とーど うやびとぬ まい | 尊 尊 祖先<祖霊>の前 |
きゆぬ きちにち しぃちぃ あたりよーり | 今日の吉日は 節祭にあたりなさり |
いんぬ しくら ふきあぎたるざらんぐ | 海の底から吹きあげた砂利で |
しやーざらい さば | 家浄めをしますから |
やーだましい うてちき とーり | 家の魂は落ち着きくださり |
かやなむぬふかなし とーりぬ うにがいゆー | 悪霊は外に(追放)してくださいとのお願いです |
とーど とーどぅ | 尊 尊 |
(「八重山地方の獅子舞と獅子祭の祝詞について」『まつり』一七号) |
昔の沖縄では、正月や節祭など節目節目に家を清める行事を行いました。西表島の場合は「海岸から七菜の花(白砂、小砂利)を運んで来て、庭や門口に撒く」ものだったようです。同様の事例を数年前に喜界島で見たことがあります。
![]() 喜界島の正月行事 |
つまり、家や屋敷は神に祈り定期的に清められなければ、悪い霊や不浄に犯されやすいものだったといえるでしょう。言い換えれば、それだけ自然や霊的存在を身近に感じ、ときに庇護されときに祟られるというような緊張関係を保っていたということです。だからこそ、住まいを大事にし、屋敷の神や家の神、祖霊に対する敬意を忘れない沖縄独特の住居観が生まれたのです。
※ ※ ※
いま私たちはそうした深いつながりを失いつつあるようです。古民家を残すことは、単に建物を残すだけでなく、祖先たちが育んできた自然への畏れと共感を再学習する機会をつなぎとめることでもあるのではないでしょうか。