1. HOME
  2. 古民家インタビュー
  3. 【職人インタビュー】瓦葺き職人 山城富凾氏(78歳)

古民家インタビュー

【職人インタビュー】瓦葺き職人 山城富凾氏(78歳)

このエントリーをはてなブックマークに追加

古民家を語る上で赤瓦屋根は欠かせません。職人インタビュー第2回目は、瓦葺き職人・山城富凾(やましろ とみじょう)氏にインタビューしました。

山城氏は国頭村のご出身で、これまで多くの瓦施工を手がけ、首里城公園の書院や鎖之間の復元工事、正殿の漆喰の塗り替えなどで長年の経験を発揮されてきました。また技術の改良や保存・継承、後進育成にも尽力され、平成21年には「沖縄県優秀技能者賞」を受賞、平成22年には「現代の名工(卓越した技術者)」に選定されています。

現在は那覇市真嘉比で漆喰シーサー製作教室を主宰する山城氏のもとにお邪魔しました。

 

山城さんが瓦葺き職人になった頃のことを教えてください。

山城富凾さん
インタビューを受ける山城富凾さん

私は国頭村桃原の出身ですが、17歳の時に知人を頼って那覇へ出てきました。当初は屋根左官ではなく壁左官を希望していたのですが、縁があって首里の屋根葺き職人である島袋正次郎(しまぶくろ せいじろう)親方のところに住み込みで仕事をさせてもらえることになりました。当時、首里には島袋家の他に大城家、比嘉家の屋根葺き職人がいて、この3家は「スイガリヤー(首里瓦屋)」と呼ばれ名門でした。「●●組」というような明確な組織はないけれど、屋根葺き職人の棟梁(「オヤジ」や「ヤッチー」と呼ばれる)が仕事を受けて、弟子たちと一緒に施工するのが一般的でした。

島袋家には当時、私とは別に2名の住み込みがいて、その他にも首里や那覇の近辺から通ってくる職人がいました。見習いになってはじめのうちは、葺き土に使う粘土をこねる作業から始めます。その次に、職人のそばへ瓦を運んだりする雑用を任される。すぐには屋根にのぼらせてもらえないんですよ。なので、休憩時間に屋根にのぼって瓦を葺く練習をしましたよ。自分が葺いたものでは使い物にならないから、休憩時間が終わると崩して元の状態に戻すわけです。そうやって練習しました。そしたらある日、オヤジ(棟梁のこと)が私の葺いたものをみて「そのままにしておけ」と。それで、腕を認めてもらえたんだなとわかりました。

那覇図書館
1950年頃の様子
下段左から2番目が山城さん

また、住み込みで働いていた頃に、人数が増えたということもあって島袋家の炊事場を増設したこともありました。皆が仕事に出ている間に、私と大工の二人で作業したんですが、私が大工にこうした方がいいと指示して作業しました。オヤジは私には何も言わなかったけど、大工に「よくできている」と褒めてくれたそうです。それで翌日から、瓦葺きの仕事をさせてもらえることになったんです。仕事を始めて1年経つか経たないかくらいで屋根にのぼらせてもらうことになったのは、やっぱり性に合っていたということかなと思います。楽しかったですよ。今の瓦は、工場で機械を使ってつくられるから瓦一枚一枚の反りやズレはあまりないけど、当時の瓦は形や厚みがバラバラでした。それを、どこにどの瓦を使えばいいのかを考えて組み合わせるのが面白くて、すっかり屋根葺きの魅力に引き込まれてしまったわけです。とにかく先輩方から色々話をきいたり、勉強しに行ったりしました。

島袋家では3年程お世話になって独立しました。独立してからは、那覇市大道を拠点に活動しましたね。この頃は6人程で仕事をこなしていました。その後、昭和38年に真嘉比に移ってきました。

 

屋根を葺く作業について教えてください。

作業風景
作業風景

大きく分けると、屋根を葺く作業と漆喰を塗る作業があります。瓦を葺く職人はヤーフチャー、塗りが専門の職人はムチジェークと呼ばれました。もちろん、ヤーフチャーで塗りも行う職人もいます。私はもっぱらヤーフチャーでした。雨漏りしたりするのは、瓦の重ね方が悪いからといわれていて、ヤーフチャーの方が難しく大変な作業でした。そのため、ヤーフチャーの方が日当も高かったね。普通の大工が1円20銭だとすると、ムチジェークは1円50銭、ヤーフチャーはさらに上乗せされて1円80銭くらいでした。

瓦の形や厚みをみて、その場ですぐにどの場所に使うのかを判断できなければ、いい屋根葺き職人とはいえません。また、垂木に使われた丸太の太さや曲がり方に合わせてきれいにそろえて葺く必要がありました。瓦は三枚葺きが基本になりますが、鍵屋などでできる「谷」では、瓦の並びをそろえるために少しずつ重なりを伸ばして葺くといった工夫もします。

また、一口に瓦を葺くといっても、首里と那覇では「瓦の手」(「てぃ」=技術)が違うんです。例えば、首里では棟の腹はストンとまっすぐに仕上げますが、那覇では丸みを帯びて膨らんだ形に仕上げる。本棟と隅棟が交差する部分も首里と那覇では違っていて、首里は曲線的に、那覇は直角に造作しました。

 

セメント瓦が流行したのはいつ頃ですか?

昭和30年頃から昭和45年頃まではセメント瓦の仕事が多かったですね。やっぱり、セメント瓦だとコストが安くなりました。セメント瓦本体も赤瓦と比べて安価だし、施工方法も葺き土がいらないし、垂木や桟木に直接瓦を載せて番線で留めるだけだから。それに、あの頃は赤瓦の評判もあんまりよくなかったしね。あちこちで家が建つから、赤瓦の供給が間に合わなかったわけです。だから、焼きが不十分な赤瓦が多くてもろかった。2~3年でぼろぼろになってしまう瓦もあったくらい。また、需要があるということで素人が瓦工場を経営していることもありました。

この頃は、セメント瓦工場も多かったですよ。本場の名護だけでも28もの工場がありました。私も真嘉比でセメント工場を経営していました。雨の日は現場に出られないのでその時間を使ってセメント工場を始めたのですが、次第に忙しくなってしまって困りました。そこで、セメント瓦づくりを機械化することを思いついてね、熊本の会社でセメント瓦をつくる機械があるというので見に行きました。内地のセメント瓦は川砂でつくるけど、沖縄ではサンゴが入った砂を使うので、機械がうまく動くか心配していたのですが、見てみると良さそうだったのでそのまま購入しました。ところが、沖縄に持ってきて動かしてみると、どうもうまくいかなかったんですよ。そこで、熊本から職人が機械の調整に来てくれたんですが、調整に1ヶ月もかかってしまいました。

 

山城さんは、社寺建築の施工も手がけていらっしゃいますね。その技術はどのように習得したのですか?

最初に手掛けた社寺形式の建物は、昭和27年の旧東急ホテルの別館の仕事です。この別館が木造2階建ての建物で、屋根も沖縄風ではなく社寺に近い形だったんですよ。それまで社寺の屋根なんて葺いたことなかったものだから、参考にしようと泉崎にあった武徳殿(※1)という武道館を見学させてもらいました。社寺形式は棟のつくりかたに特徴があるのですが、その棟の形を写しに行ったんです。それで東急ホテルの別館を施工しました。それが最初です。武徳殿は建築当時だれが施工したのかわかっていないのですが、沖縄戦で屋根の一部が壊れてしまったそうで、私が勉強させてもらったときは応急処置的に葺いてあったそうです。その後昭和30年頃にその部分を葺き替えすることになったのですが、その葺き替えは私も関わらせてもらいました。

普天間宮
山城さんが手がけた普天間宮

その後は普天間宮や、崇元寺にあった生長の家などに関わらせていただきました。

社寺形式の建物に限らないことですが、台風の多い沖縄では瓦が吹き飛ばされてしまうことがあります。そこで何とかできないかと考え、ステンレス釘で瓦を固定する方法を考えました。棟の位置にあらかじめ鉄筋を入れ、のし瓦をステンレス釘で固定します。その釘と鉄筋をステンレス線で固定するという方法です。

社寺形式の棟つくりも含めて、後輩たちにはできるだけ技術を伝えていきたいと思っています。

武徳殿(ぶとくでん ※1)

昭和14(1939)年に大日本武徳会沖縄県支部によって建設された大演舞場で、当時では珍しい鉄筋コンクリート造だった。沖縄線により廃墟と化した那覇市内に唯一残った神明入母屋造りの建築物。(「沖縄大百科事典」より)戦後は改修されて警察の武道館として使用されたが、老朽化のため平成元年(1989)年に解体。跡地は現在、沖縄県議会棟となっている。

 

最後に、古民家や瓦屋に興味を持っている方にメッセージはありますか?

木造住宅が増えて欲しいですね。木のぬくもりに触れながら生活することは素晴らしいことです。また、木造の住宅はコンクリート住宅に比べて涼しいです。10年前に比べて、最近は木造住宅を建てる人が増えているそうですから、徐々に木造住宅が増えていけばいいと思います。

また、コンクリート住宅に瓦屋根を載せると固定資産税が高くなるので、この税金を免除するか減額してもらえないかなと思います。そうすれば、コンクリート住宅でも瓦屋根にしたいという人が増えるかもしれません。

腕をふるう機会がなければ、技術も残っていきませんから、瓦屋根にしたいという人が増えるといいと思います。私も、元気なうちは後輩たちに技術を伝えていきたいですね。

 

インタビュー

話し手:山城富凾(昭和7年生まれ)
聞き手:西村秀三、伊波なぎさ

沖縄県琉球赤瓦漆喰施工協同組合へはこちら

110630 沖縄県琉球赤瓦漆喰施工協同組合へのリンクを追記

Warning: file_get_contents() [function.file-get-contents]: php_network_getaddresses: getaddrinfo failed: hostname nor servname provided, or not known in /home/kominka/www/cms/wp-content/themes/kominka/includes/machipedia_api.php on line 25

Warning: file_get_contents(http://...@machitane.net/api/machipedia.php?keyword[]=%E5%85%A5%E6%AF%8D%E5%B1%8B&keyword[]=%E5%9E%82%E6%9C%A8) [function.file-get-contents]: failed to open stream: php_network_getaddresses: getaddrinfo failed: hostname nor servname provided, or not known in /home/kominka/www/cms/wp-content/themes/kominka/includes/machipedia_api.php on line 25

Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/kominka/www/cms/wp-content/themes/kominka/includes/machipedia_api.php on line 28

古民家について相談する

古民家相談室

2017.6.14NEW

相談
始めまして京都出身横浜在住の40代後半の男性です。 祖父が今帰仁生まれのせいもあり沖縄に大変興味があり、特に沖縄出身の建築家の某先生に設計を教えていただいたり親しくして頂いているので、沖縄の住宅に興味かあり、去年伊是名島に銘苅家を見にいき大変感銘を受けました。 趣味で銘苅家の図面を模写してみたり模型を作ったりしてみたいのですが元となる図面などを入手する方法はありませんか? おわかりになられるようなら教えて頂きたくご連絡いたしました。 銘苅家がダメで一般的な古民家の図面ならなどという情報でもありがたいです。 よろしくお願いします。
回答
こんにちは、お問い合わせ拝見いたしました。 伊是名島の銘苅家住宅についてですね。 銘苅家住宅(いぜな島観光協会)...

続きを読む


Warning: file_get_contents() [function.file-get-contents]: php_network_getaddresses: getaddrinfo failed: hostname nor servname provided, or not known in /home/kominka/www/cms/wp-content/themes/kominka/includes/add_machitane_api.php on line 101

Warning: file_get_contents(http://...@machitane.net/api/machipedia.php?keyword[]=%E6%8A%95%E6%8E%9B%E3%81%91%E6%A2%81) [function.file-get-contents]: failed to open stream: php_network_getaddresses: getaddrinfo failed: hostname nor servname provided, or not known in /home/kominka/www/cms/wp-content/themes/kominka/includes/add_machitane_api.php on line 101

古民家用語集

【】


Warning: Invalid argument supplied for foreach() in /home/kominka/www/cms/wp-content/themes/kominka/includes/add_machitane_api.php on line 110

続きを読む