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古民家インタビュー

【職人インタビュー】大工棟梁 親泊次郎氏(77歳)

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沖縄在来の木造住宅づくりをよく知る親泊次郎氏にインタビューしました。親泊氏は石垣島で生まれ、船大工から身を起こし、沖縄本島に移ってからはたくさんの木造住宅を設計から施工まで手がけてきた生粋の大工職人です。首里城の復元をはじめ文化財修復に関わるなど幅広く活躍され、沖縄県建築士会の沖縄木造建築伝統技能者(平成16年度)を受賞されています。

喜寿を過ぎてもまったく衰えない向学心と、フレンドリーな人柄がとても素敵な、私たちの大先輩の昔話にしばし耳を傾けてみましょう。

 

次郎さんはいつ頃から大工仕事を始めたのですか?

僕は八重山の生まれでね、16歳の頃から石垣市の造船所で船大工として修行しましたよ。この造船所は木造の漁船などを手がけていてね。当時はまだ終戦後の密貿易の時代で、木造のサバニでバシー海峡(フィリピン)などの難所も渡っていたそうですよ。与那国なんかでもだいぶ活躍したんじゃないかね。

差し金(※1)

差し金は「曲尺(まがりじゃく)」ともいい、最も大事な大工道具のひとつです。昔は差し金一本で角度や勾配を測っていました。

この造船所では社長が設計して、現場の船大工が製造するという流れだったんだが、僕は造船所の社長にとても気に入られてね。「型取り」をする作業を任されていたわけですよ。社長が描いた原寸大の図面から差し金(※1)を使って型取りするんだけれども、なかなかむずかしくてね。社長は教えてくれないさぁ。英語混じりの技術書をポイッって渡してはくれたけど、読めるわけないさぁね。だから昼は現場でみようみまねで技術を学んで、夜は辞書を片手に技術の勉強ですよ。

那覇に来てからも最初は船大工をやろうと思って、知り合いと糸満やら国場川やらで造船所を始めてみたりしたけど、長続きしなくてよー。ちょうどその頃、八重山の先輩の大工から「建築をやってみたらどうか」という話があったから、少し勉強してみるつもりで入門したわけ。それまで船大工の世界では「丈夫で水漏れがしない」ということしか考えなかったけども、建築はデザインも大事でしょ。とても刺激的だったねぇ。

 

木造の家を建てるようになるのはどれくらい経ってからですか?

 
古民家の柱をチェック

最初はやっぱり仕事がなくてね。どこかで面白い仕事をやっていると訪ねていって日雇いして、現場の職人から教えてもらいながら技術を身につけていったわけですよ。特に首里の棟梁たちのわざは見事でね、技術もプライドも高かった。元々は首里にあった御殿なんか士族の大きな家のお抱えの大工だったそうですよ。設計図はなくて、板に簡単な図面を描いて、あとは頭の中の図面を頼りに現場で手を動かしながら調整していくやり方でよー。屋根が大きくなると荷重を分散させるために柱の数を多くすることなんか、このときに勉強したんだね。

こんなふうだったから、復帰前に「次郎組」をつくったあとも自分の仕事は部下に任せておいて、あちこちの現場を訪ねて歩いてからね。どうも一匹狼みたいなところがあるみたいだわけさぁ。

それまでも個人の家を建てる仕事は請け負っていたけども、昭和30年過ぎだね、小禄飛行場が米軍基地になっていて、そのゲート前に住宅地をつくることになったわけさぁ。今の赤嶺とか宇栄原、田原にかけてかねぇ。木造瓦屋で6畳2間に台所、裏座という間取りの家が規格住宅みたいにたくさんできたわけですよ。あのへんはとっても栄えてからよー、映画館も3軒あってね。第一ゲートは黒人、第二ゲートは白人と分かれて、社交街になってたよー。

僕は25歳くらいだったかな、「池宮組」とか「善太郎組」にお世話になって、現場を任されました。全部で4軒だね、建てました。資金はね、米国民政府から半分はでよったですよ。ガリオア資金(※2)いうてね、復興資金ですよ。ところがもう半分は銀行からの融資でして、これは借金だから工期は1年と決まっているわけ。そうすると、九州から材木は取り寄せておったが、乾燥させる時間がなくてよー。スギなんかは生木(白木)のまま使わなければ間に合いまなかったね。

ガリオア資金(※2)

第二次世界大戦後の米国による占領地救済政府基金で、沖縄では道路、電力施設、水道施設、港湾等の整備のほか、建設資材、食料品、肥料、油脂類、薬品、教育などにも使われた。

またヒノキを頼んでもよく似たアスナロっていう木が来るわけさぁ。向こうの人は沖縄だから分からんと思ったんでしょうね。このアスナロがシロアリに弱くてからよー。結局この小禄の住宅も他のところもこの時期の木造住宅はあとでシロアリがついてね、それで「木造はだめだ」という評判がたったわけです。

 

木造住宅の評判が落ちたのにはそんな不当な理由があったんですね。これがツーバイフォーといわれる住宅だったんですか?

いやいや違いますよ。それはもっと前、戦後すぐくらいだね。米軍の復興資金でつくったのがツーバイフォー(2×4インチ)で、沖縄では「キカクヤー」と呼んでいたね。骨組みの材木は米軍から、垂木などは名護にある明治山から切り出してからよー、屋根には米軍のテント生地を使っていたわけ。米軍の角材はベイマツ(米松)だったけど、バンナイ消毒されててね。もう絶対にシロアリはつかなかったさぁ。テントは軍のトラックの幌に使われたものだから、これも消毒臭がきつくてね。おまけに夏場は暑くて寝られんくらいでしたよ。

このころは角材を2つに割ったものは全部ツーバイフォーといったから、寸法はバラバラでね。このキカクヤーの設計や作業管理をしていたのは又吉真三さんとか、山里銀蔵さんとかですよ。「沖縄のためにがんばりましょう」といって、イチャンダワザ(ボランティア)でやりよったですよ。偉いねぇ、尊敬しておりますよ。

明治山の木材の切り出しも賃金は出ない代わりに、クスノキを切り出していいということだったからそれを薪にして人夫に手間賃として渡すわけ。これを売ればお金になったからね。

山から木を切り出す職人は「山師(やまし)」、方言で「ヤマアッチャー」と呼びましたね。家を新築するときには施主が直接山師に木材調達を頼みよったです。原木を加工する人はなんというたかな、「木挽(こびき)」と呼んだかねぇ。方言は覚えとらんです。

材木店では仕入れた木材を根を上にして立てかけて乾燥させました。そのほうがよく水分を吐き出すからね。また、木を切るのは秋がいいそうです。秋の木は皮が取れやすく、冬ごもりのため水分を吐き出しているから、木が縮んで堅くなっているということです。逆に春は水分を吸い上げる季節だから伐採には向かないさぁね。

それから本土では柿汁や米ぬかを建材の表面に塗って化粧しますが、沖縄では豆腐をつくった大豆の絞り汁を使っていましたね。つやだしや垢止めに効きよったね。これは沖縄だけかと思っていましたが、調べてみると四国にも同様の伝統工法があるらしいですよ

 

さすが勉強熱心なだけにお詳しいですね。木材だけでなく、沖縄の建築様式の特徴についてもいくつか教えてほしいのですが・・・

沖縄の建築の特徴としてまず台風対策がありますね。その基本は貫(ぬち ※3)を構造材として考えているところにあるんじゃないですか。本土では貫は柱の間を通す水平材だが、沖縄では小屋組にも貫をします。貫で柱を貫通させて楔(くさび)で締め固めるわけ。こうすることで水平方向への圧力を持ちこたえられるから、台風に強い構造になるわけです。

貫(ぬち ※3)

※3 本土では貫(ぬき)とは柱など垂直材間に貫通する水平材のことで、水平方向の固定に用いる。壁に使用される貫は柱を貫通させ楔で固める。

けれども台風はルートが毎回違うから、あらゆる方角からの風を想定しなければいけないさぁね。だから、沖縄の伝統工法では梁(はり)と桁(けた)の組み合わせ、大引(おおびき)と根太(ねだ)の組み合わせなどは十字に組み合わせて、東西南北どこからの圧力にも耐えられるように工夫しているわけです。赤瓦の葺き方をみても、垂木に竹をかぶせてその上から土を盛って瓦を受けるようにしておるでしょ。これは屋根に荷重をかけることで家を上から押さえつけて、風に対する安定性を高めるわけさぁね。

 
次郎さんが描いた板図

沖縄の木造建築はかなり規格化されてるよ。床組をみなさい。大引が3寸6分、根太が1寸8分で、5分板の上に畳が1寸8分という具合でしょ。柱や大引に3寸6分が多いのは、山師が木を切り出したあと手斧などを使って粗く4寸ほどに削って山から下ろすからです。少しでも軽くしたほうが運びやすいさぁね。それを大工がノミとカンナで加工するとよ、ちょうど3寸6分ぐらいになるわけさぁ。1寸8分はそれを4分割するからですよ。

沖縄の木造建築技術は首里・那覇を中心に発展したと思いますね。本土の木造技術がベースにあるけれど、中国的要素というか南方的要素も含んでいて興味深いですね。首里の大工は住宅をつくるのが中心だったから、柱は一間おきにつくったでしょ。那覇の場合は違います。料亭や商店とか商売用の建物が多かったから、間口を広くとる必要があったんだねぇ、一間おきでなくもっと広い間隔で施工することがよくありました。料亭は客商売だからでしょう、欄間(らんかん)や組物(くみもの)など本土で流行っている建築技法をいち早く取り入れることが多かったらしいですね。その技術がちょっと遅れて一般の住宅にも応用されるようになったと考えてます。

木造の家はね、図面だけみてつくれるものではなく、木と相談しながら作業を進めなくてはなりません。例えば木の反りの性質に合わせてあそこにはこの木をと組み合わせを考えるわけ。本土では山の南側で育った木は家の南側に、北側で育った木は家の北側に配置するという考えもありますよ。

また、本土では貫は見えない範囲の余裕をもって組み合わせますね。これは一種の耐震技術じゃないですか、向こうは地震が多いからね。でも沖縄では木を金槌で叩いて圧縮するわけさぁ。これを木殺しといってね、押し込んでやっと入るくらいのガチガチで組み合わせる。これは沖縄の多湿な気象条件から辿り着いた技術的結論でしょう。木も湿気を含むと膨張するからね。だけど、木材が膨張する・縮小するというのは大体10~20年ほど経つと鈍ってくるよ。

 

ありがとうございます。ところで次郎さんのお宅は木造の軸組工法で、しかも3階建てですよね。建設したときにはどんな苦労がありましたか?

 
3階建ての自宅

みてのとおり三角の敷地でしょ。この敷地の中に収めるように設計するのは大変さぁ。ちょっと板図をみてください。<といって物置から板図を取り出す> 平屋建てと2階建ては造り方が違うし、棟梁によっても変わってくる。柱の太さがいろいろだとさらに複雑になるさぁね。基本的に畳割りで間取りを設計するのだけども、板図は柱割りで描くから頭の切り替えがむずかしくてよー。木造では1階の柱を2階に伸ばすことはできないから、柱の配置を少しずつずらしながら小屋組とのバランスを考える必要がある。これもまたむずかしいねぇ。

八重山では戦後しばらくまで、家を新築するときは家主本人が材木を確保したものですよ。1年前ぐらいから材木を集め始めて、集めたものは自分で乾燥させてたわけ。乾燥させるとひずみや垂らしがでてくるから、日にちが経つと寝かせる向きを変えて、なるべく均等になるように調整しよったですよ。フクギは背割れが大きいから、海とか水中で乾燥させます。そうすると背割れはなくならないけれど、小さくすることはできるさぁね。まあ、背割れがあるからいうても強度には影響しないねぇ。

 
1階一番座の天井組

チャーギ(イヌマキ)は元々堅いから、陰干しすれば十分だったよ。垂木のチャーギに釘を打つときはわざと釘先をつぶして、押し込むようにというか繊維を切るように釘を打つわけ。金槌の中心を外すとよ、すぐに釘が曲がって使えなかったさぁ。あのときは釘も貴重品だから、曲げないように丁寧に打ったもんです。同じチャーギでも本土のより島材のほうが強かったね。

というのも、自分の家をつくるときは自分で材木を探しましたからね。京都に建部さんという知り合いがおってね。「将来この家を解体したときに勉強材料になるように」という思いで家を造ろうと思ったから、建部先生には「節があっても長持ちする材を」とお願いしたんです。すると全部根元の木材を送ってくれましたですよ。根元のほうが木は強いからね。構造材にはスギの赤身(心材)を使っていますよ。

 
自宅の側面

また、水に漬けることもやりました。具志頭の港川に石をとった後の窪地が池になっておって、そこに角材をそうですね、(指を数えながら)9ヵ月ほどかな、漬けました。ところがね、漬けるときは重機で下ろしたけどよ、上げるときは重くて上がらないさぁ(笑)。材木の表面にイシグー(石粉)がびっしり付着してセメントみたいになっていたからね。そうなるとカンナがかけられんでしょ。ワイヤーブラシで急いでこすって落としましたよ(笑)。

また昔の木造住宅では、建築して何年かは天井や内壁を張らずにむき出しにしたままです。これは予算が間に合わないという事情もあっただろうが、カマドやジルー(囲炉裏)の煙で柱や梁など構造材をいぶして、シロアリやムシを寄せつけないようにするわざでした。みてください。この家もそうでしょう。いや今の台所からは煙は出んからいぶすわけじゃなくてよ(笑)、あんたたちみたいなお客さんが来たときに、造り方を見せるためです。天井がなければ中が見やすいでしょう。昔の技術を残すためになにかできんかと考えてやってみたわけです。

 

最後に、古民家に興味を持っている人になにかメッセージはありますか?

 
インタビューを受ける次郎さん

昔は畳なども1番座のが古くなると2番座へ、それが古くなると裏座へと使い回しをしたもんですよ。「客間は上等に」という考え方だったわけだが、今の環境とかリサイクルとも共通しておるでしょ。木の家はやっぱり温かいですよ、自然と一緒に生きてるからね。

昔の棟梁は、家主に対してまず簡単な板図をみせて、あとは自分が建てた家を何件かみせてどれがいいか選ばせて、あとは建て坪に合わせて応用してつくっていた。詳細な図面や構造計算は全部棟梁の頭の中にあったわけです。それに、本土の場合は建具職人、渡り大工、木地師など職能が区分されておりますが、沖縄では屋根葺き以外の全部の仕事を大工がやりましたよ。大工は積算も含めて何でもできなくては大工とはいいませんでした。そういう技術を持った人がもう数えるくらいしかいないというのはさびしいですね。

インタビュー

話し手:親泊次郎(昭和8年生まれ)
聞き手:西村秀三、和宇慶朝太郎


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古民家相談室

2017.6.14NEW

相談
始めまして京都出身横浜在住の40代後半の男性です。 祖父が今帰仁生まれのせいもあり沖縄に大変興味があり、特に沖縄出身の建築家の某先生に設計を教えていただいたり親しくして頂いているので、沖縄の住宅に興味かあり、去年伊是名島に銘苅家を見にいき大変感銘を受けました。 趣味で銘苅家の図面を模写してみたり模型を作ったりしてみたいのですが元となる図面などを入手する方法はありませんか? おわかりになられるようなら教えて頂きたくご連絡いたしました。 銘苅家がダメで一般的な古民家の図面ならなどという情報でもありがたいです。 よろしくお願いします。
回答
こんにちは、お問い合わせ拝見いたしました。 伊是名島の銘苅家住宅についてですね。 銘苅家住宅(いぜな島観光協会)...

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古民家用語集

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